「高学年担任は難しい」とよく言われる。
授業の内容が複雑になる。反抗期が始まる。保護者対応が増える。
それは確かにある。
でも20年、小学校の教師として働いてきた経験から言うと、高学年が難しい本当の理由は、もっと根本的なところにある。
高学年の子どもは、大人の「本音」を見抜くからだ。
この記事では、高学年の担任経験から気づいた「子どもに深く信頼される大人と、されない大人の違い」についてお伝えする。そしてこれは先生だけの話ではなく、子育てをする親にも深くつながる話だ。
「高学年は難しい」と言われるのは、なぜか
授業の難しさより、もっと根本的なことがある
高学年担任になった時、私が最初にぶつかったのは授業の難しさではなかった。子どもたちの「目」だった。
低学年の子どもは、先生の言葉をそのまま受け取る。でも高学年は違う。先生が言っていることと、先生が本当に思っていることの「ズレ」を感じ取る。
「先生、今その言葉、本気で言ってる?」
「これって子どものためじゃなくて、先生が楽になりたいだけじゃない?」
そこまで言葉にするわけではない。でも、それが態度に出る。目に出る。
この「ズレを見抜かれる」という経験が、高学年担任の本当の難しさだと感じた。
高学年の子どもが大人に求めているもの
高学年の子どもが先生に求めているのは、「完璧さ」ではない。「本音」だ。
先生もミスをする。先生も迷う。先生も間違える。それ自体は、子どもは許容している。問題は、ミスをした後に先生がどうするか、だ。
「正しいことを言ったはずだ」で終わるか。
「どう届いてしまったのか」を見に行くか。
そこを、高学年の子どもはちゃんと見ている。
「好かれる先生」と「信頼される先生」は違う
何か問題が起きた時に出る「本音」
明るい。楽しい。熱い。話が面白い。そういう先生は「好かれる」ことがある。でも、「好かれる」と「信頼される」は違う。
高学年で気づいたのは、信頼は「普段」ではなく「問題が起きた時」に決まるということだ。
- 子どもが傷ついた時。
- クラスで何かトラブルが起きた時。
- 保護者から苦情が来た時。
そういう場面で、先生の「本音」が出る。
「そんなつもりじゃなかった」で終わる先生・終わらない先生
ある時、私が何気なく言った一言で、クラスの空気が変わったことがあった。子どもが傷ついていた。
その時の私の最初の気持ちは、「でも正しいことを言ったはずだ」というものだった。でも、その気持ちのまま子どもの前に立ったら、もっと遠くに行ってしまうだろうと感じた。「どう届いてしまったのか」を見に行くことにした。
子どもが言った。「なんか、責められてる感じがした」
私は励ましたつもりだった。でも子どもには「責め」として届いていた。
正しいかどうかと、届いたかどうかは、別のことだ。
「そんなつもりじゃなかった」で終わる先生と、「どう届いたか」を見に行く先生。この違いが、子どもとの信頼の深さを決めていた。
子どもを育てているつもりで、一番育てられていた
自分の言葉がどう届いたかを見に行く習慣
高学年担任の経験を通して、私の中に一つの習慣ができた。「私の言葉は、どう届いたか」を見に行くこと。
これは簡単ではない。都合が悪い場面で、自分を守りたくなる気持ちがある。「私は悪くない」と思いたい場面がある。でも、その防御を先に出してしまうと、子どもとの信頼は深まらない。
「私のどこがそうさせたか」を見に行けるかどうか。これが、子どもとの本当のつながりを決めていた。
大変な子ほど、大人が自分に向き合わされる
高学年だけではない。大変な子と関わる時も、同じことが起きる。
その子の「やらない」「怒る」「荒れる」の奥を見に行こうとすると、まず自分の中の焦りや苛立ちに気づかされる。「どうにかしなければ」という焦りの奥に、「この子に失敗させたくない」「この子の可能性をつぶしたくない」という本当の願いがある。
子どもの奥を見ようとすることで、自分の奥も見えてくる。20年、子どもたちを育てているつもりで、一番育てられていたのは私だったと思っている。
これは先生だけの話ではない——親子関係にも同じことが起きている
怒った後の「戻り方」が信頼を決める
子育てでも、まったく同じことが起きている。子どもに怒ってしまうことは、どの親にもある。問題は、怒ってしまったことではない。その後、どう戻るかだ。
「あの時、ちょっと言いすぎたね」と言える親。
何もなかったように続ける親。
子どもは、その「戻り方」を見ている。謝れる大人は、子どもに「失敗しても戻れる」ということを、言葉より先に体で教えている。
「正しかったかどうか」より「どう届いたか」
「宿題やらないといけないでしょ」は、正しい。でも、それが子どもに「責め」として届いているとしたら、本当の願いには届いていない。
正しいことを言っているのに、なぜかモヤモヤが続く時。それは、「正しさ」と「届いているかどうか」がズレているサインかもしれない。
信頼される大人に共通する3つのこと
1. 自分に都合が悪い場面で、自分を見られる
「私は悪くない」ではなく、「どこが届かなかったのか」を見に行ける。
2. 相手の痛みを「責められた」と受け取らずに、聴ける
子どもが「傷ついた」と伝えてくる時、攻撃として受け取らず「そうか、そう届いたのか」と受け止められる。
3. 自分の言葉が相手に残した影響を引き受けられる
「そんなつもりじゃなかった」で終わらず、「どう届いてしまったか」まで引き受けられる。
この3つは、技術ではない。心の奥を見る力だ。自分の本音を見る力が育つと、相手の本音を見に行く力も育っていく。
まとめ:高学年担任は「人間力のバロメーター」だった
完璧な先生である必要はない。
- ミスをした後に「どう届いたか」を見に行ける先生。
- 自分の言葉の影響を引き受けられる先生。
- 子どもに「あの時、ごめんね」と言える先生。
それが、卒業後も「会いたい」と思ってもらえる関係の核心だと思っている。そしてこれは、先生だけの話ではない。親も、パートナーも、同じだ。
「心の奥を見る力」は、自分の内側だけでなく、相手の内側を見に行く力でもある。その力を、子どもと一緒に育てていくことが、幸せに生きる土台になるのではないかと思っている。
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