「あの先生、できないよね」――目に見えるものでしか評価されない社会で、私がつくりたい場所

「あの先生、できないよね」

そう言われている先生がいました。

でも私はずっと思っていました。

できないって、何をもってできないの?

提出物が出ること。
授業がうまいこと。
言われたことをちゃんとすること。

目に見えるものでしか、評価していない気がしました。

数字にならないものは、評価されない

では、こういうことはどう評価されるのでしょうか。

子どもが本音を話せる関係をつくれているか。
その子の可能性を信じて関わり続けられるか。
安心して失敗できる場をつくれているか。

これは数字にならないから、評価されません。

書類の提出が遅くても、子どもたちが「先生に話したい」と思って集まってくる先生がいる。授業の形は不器用でも、子どもが「自分はここにいていい」と感じられる場をつくれる先生がいる。

でもそれは、評価の土俵にすら上がれない。

子どもの評価も、同じことが起きている

これは先生だけの話ではありません。子どもの評価も同じことが起きています。

提出物を忘れた子は注意される。
成績が下がれば「もっとちゃんとやりなさい」と言われる。
授業中に落ち着きがなければ「問題のある子」になる。

でも「なぜ提出物を忘れたのか」「その子の中で何が起きているのか」を見ようとする人は少ない。

測りやすいものだけで「いい子・悪い子」が決まっていく。

本当に大事なものは、測れないところにある

本音を出せているか。
自分を信じられているか。
安心して「どうしたい?」と言えているか。

これはテストでは測れません。通知表にも出てきません。

でも20年間、小学校の教師をしてきて確信していることがあります。

測れないものの中に、その子の本当の力がある。

職員室で気づいたこと

職員室でも同じでした。

いくら大切なことを言っても、「あの人、仕事できないくせに」という目線があると聞いてもらえない。正しいことを言っているかどうかより、その人の評価や立場で、言葉の重さが変わってしまう。

それがずっと悔しかった。

肩書きや実績に関係なく、言葉そのものを平等に聞いてもらえる場があったら、どれだけ多くの人が本音を出せるだろうと思っていました。

だから私は、こんな場をつくりたかった

肩書きも、実績も、関係ない。

誰の意見も平等に聞いてもらえる場。
本音を出しても大丈夫な場。
測れないものを大切にできる場。

それが、私がセルフルをつくった理由のひとつです。

大人が本音を出せる場があって初めて、子どもも本音を出せるようになる。親が「自分はここにいていい」と感じられる場があって初めて、子どもも同じように感じられるようになる。

測れないものを大切にする大人が増えれば、測れないものを大切にされる子どもが増える。

そんな連鎖をつくりたいと思っています。


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